

| 多くの子供たちは、迷える子羊です。世の中の仕組みやその流れなど何もわかっていません。 どのような職に就き、どのような生き方をすれば幸せに生きられるのかがわからずにいます。 自分自身もそうでした。暗闇の中で、いったいどちらへ行けば良いのかわからずにメーメー鳴いて いるのです。彼等の多くは、まず自分の立場に立って考え、将来のアドバイスをしてくれる大人を 求めています。 「教育は人をつくる。人は国を作る。国は世界を作る。」社会を変えるベースは教育です。 徳のある人間育成を目指して学習塾の設立を決意しました。 いろいろな職業を体験するために学生の頃から50社以上の企業で働いてきました。 また、子供の目から見て興味のある人間になるために、、青年海外協力隊で1983年7月〜1985年12月までフィリピン教育大学で数学を指導してきました。 1983年8月ベニグノ・アキノ氏がマニラ空港で暗殺され、後にピープルズパワーを生んだマニラ市内で激動の時代を過ごしました。 帰国直前にフィリピンの貧しい家庭の子どもたちを支援する奨学金制度を隊員だけで立ち上げて帰国しました。 任期を終え、1986年2月、フィリピンでレストラン経営のために再度マニラに戻った翌日、コーラソン・アキノ氏(ベニグノ・アキノ氏の妻)とマルコス氏の大統領選挙があり、その後、あの有名なエドサ革命へと繋がっていきました。そこで、目にしたものは、100万人のデモ隊と対峙する装甲車の上で銃を構える若き兵士たち。そして、デモの最前列で、膝を地面につけ、目を閉じてひたすら祈り続ける修道女たちの姿でした。 その時、長年靄がっかったもやもやした状態から目の前が一気に澄み渡りました。今まで探し求めていたものが目の前にあったからです。 「義の心」 悪というのは、自分がされて嫌なことを平気で他人に言ったりしたりすること。 そのような悪に挑戦することが正義です。 修道女たちは、今、私の目の前でその悪に命懸けで挑戦している、その光景を瞼の裏に焼き付けて帰ってきました。 帰国後は大手進学塾で経験を積み、4年後に課長職にて依願退職。 1991年4月念願の「だるま塾」を設立。現在に至る。 <その他の活動> ・ 驕らず腐らずの会 代表 ※ 心の七柱に賛同し行動出来る方と活動しています。 現在は学習塾の経営、将来はコミュニティキッチンを経営したいと考えています。 ・ (公社)アムネスティ・インターナショナル日本 関西連絡会副代表/なにわグループ運営担当/入門セミナー担当 ※ 毎月、入門セミナー、自由のために乾杯!交流会を開催しています。毎月、世界人権宣言経を読経しています。 ・ (公社)アムネスティ・インターナショナル日本 2026年度総会議長補佐、リクルート委員会副委員長、活動会議運営委員(グループ代表) ・ (一社)青年海外協力隊プラザ大阪 理事 ※ 年に3回、協力隊の壮行会と歓迎会を開催しています。 会員拡大の担当をしています。 ・ みんな仲間だ!フェスティバル2025 実行委員会委員長(12/14) ※ 毎年12月、世界人権宣言を知ってもらうためのイベントを開催 しています。 ・ 関西国際交流団体協議会 理事 ・ ペイフォワードの会 世話人 ・ オイスカ関西支部 幹事 ※ オイスカ関西の集いの企画、運営の協力をしています。 ・ すみれ会会長(町会の老人会):年3回の食事会、バス旅行、町内清掃など ・ 馬場南町会自治会役員:2026年は桜の植樹に成功、その他 ・ 平野区老人クラブ連合会 広報部長:昨年は新聞の発行を実現 ・ Youtube 達磨動禅世直しチャンネル:8本アップ ・ 金剛禅総本山少林寺 少導師:世界人権宣言経の普及=人権意識の喚起 平野区人権推進評議委員会 委員:人権意識の喚起を訴えたい 平野区安全安心町づくり評議委員会 委員:2026年はネットワークづくりに努力したい ※ 2016年 アジアのノーベル平和賞と言われるマグサイサイ賞を 青年海外協力隊が受賞。日本の団体としては初めてのことである。 青年海外協力隊の時、帰国前に創設した奨学金制度を立ち上げて 帰ってきました。その後、後輩たちが何十年も継続してくれているお陰で、 200名以上の貧しい家庭医の子供たちが、大学まで卒業できたそうです。 その結果、フィリピン社会に多大なる貢献をしたことで、受賞できました。 その結果、フィリピン大統領から賞を頂けたと思っています。 <関心事、特技> ※ 関心事: 社会問題、教育問題 、平和⇒東洋の精神(陽明学)と 西洋の精神(世界人権宣言)の融合 趣味・特技 : 座禅(金剛禅総本山少林寺少導師)、武道(少林寺拳法四段、 なみはや国体三段以上の部7位) ★「この人に会いたい」JOCA近畿通信掲載記事 |